歩く。 | 小人閑居

歩く。

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どうせ、歩くんだったら、肩肘張って歩くんじゃなくて、

気楽に楽しく歩いていきたい。

あせらずに、無理もしないで。

目的地は遠いかもしれない。

寄り道もたくさんすると思うけど。

迷子になるかもしれないし。

そのうち到着すると思う。

それで、到着したら、

そこも通過するところだったって

気がつくね。


ただ、いつでも気楽にのんびりと歩いていたい。


ユーモアを自分の味方にして。



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自分が誰かを探す途中で、今まで自分がそうだと思っていた自分とは違う・・・と気がつくことがあります。


そのとき、それを気楽に受け入れてくれる人もいるし、心理的葛藤を覚えながらも受け入れてくれる人もいるし。受け入れられない人もいるし・・・。


ただ、近しければ近しいほど、今までのわたしはそうだと思っていたけど違っていて、本当はこうだったんです、というと、「裏切られた」ように感じやすいんだろうな。


だって、そうだと思っていたのに・・・。誰よりもあなたのことを知っていると理解していると思っていたのに。そうすることがあなたにとって一番いいはずだったのに。それが、違った、なんて・・・。


その人が「わたしはそうである。」と思っていた「わたし」はその人のアイデンティティーの一部になってしまっているから。いまさらそれをなしにしてくれ、と言われれば、その人も自分が誰であるかを見失ってしまうのかもしれない。少なくとも、その人の一部になっていたものを、わたしは引きちぎらなければいけなくなる。そして、深い傷を残してしまうんだろう。


じゃあ、自分はもしかしたらそうかもしれない、と思っていても、そういう新しい自分に変わることをしないで、古い自分のままでいたいとは思えない。


新しい自分に変わりたいと思う。それは、気がつかないまま胸の奥にずっと隠れていた強い強い思い。それを、今までずっと抑圧してきていた。無意識のうちに。


そして、その押さえつけられた自分の一部が澱み、腐臭を放っていて、わたしの暗闇を形成していたのかも知れない。


だから、わたしが新しい自分に緩やかに変わっていくことは、単にわたしがより自然に自分になっていくという美しい側面だけ持っているわけじゃない。


抑圧され、押さえつけられてゆがんでしまったわたしの一部は、そのゆがみを、澱みを、腐臭を、今までの「わたし」を形成してくることに深くかかわってきた人に投げ返したいと思っている。今までおかれていた暗闇にその誰かを突き落としてやりたいと、歯噛みをしている。押さえつけられたわたしの一部にかわってその人の一部をもぎ取り引き裂き、深い淵に投げ込んでやりたいと、つめを研いでいる。


わたしは、そういう復讐の衝動を完全にやり過ごしていけるような人間ではない。


だから。


だからこそ、今こそ、笑いたいし、気楽に楽しく歩きたい。


たくさん冗談を言って、へらへらと笑って毎日を過ごしたい。


重苦しく迫ってくる復讐の衝動を、ユーモアに包みこんで笑いに昇華してしまおう。


・・・と、思う