小人閑居 -43ページ目
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1. 菩提樹の森

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私たちはそのことについて話したことは無い。話せなかったからではなくて、話してはいけないことだからだ。私たちが一緒にいるためにはそのことについて話してはいけなかったからだ。

一緒にいる、という表現もすこしおかしいかもしれない。私たちは友達だったけれど、いつでも一緒にいたわけではない。週に一度、仕事の関係で会っていたに過ぎないから。それ以外で会ったことは数えるほどしかない。それも、二人で会う、とかそういったことではなく。仕事がらみの用事で会うか、そうでなければ、仲間で飲みに行くときに会っていた。

それでも、時折、肩をたたかれたりするときに、はっとすることがあった。ふっと顔を上げて、目が逢ったときに、冷たい空気をいきなり吸い込んだような気がすることもあった。何気なく冗談を飛ばしながら、彼の笑い声に耳を澄ましたこともあった。

私が引っ越すことで、仕事をやめることになったことを内輪の仲間に伝えたのは、みんなで飲みに行ったときだった。彼はみんなが口々に私にいろいろ聞いてくる中で、一人絶句してテーブルの上に顔を伏せていた。そして、顔を上げたとき、彼は泣いていた。

その次の日に、初めて二人で歩いた。

彼が間違ってもっていった私の書類を届けに来てくれたのだ。私の家の近くの駅まで書類を持ってきたくれた彼を迎えに行った。何気ない季節や天気の話しをしているときに、わたしの好きな菩提樹の森の話をした。春に森の地面を埋め尽くして咲く青い花、夏の終わりに咲く菩提樹の花の香り、そこから見渡すなだらかな緑の丘陵。彼はその森に行きたいといった。

木々の間から漏れる夏の日差しは、菩提樹の葉で緑に染まっていた。青い花の季節も終わり、菩提樹の花には少し時期が早く、森は静かな夏の午後に満ちていた。私たちは高校生のころの話や、仕事仲間の失敗談など、どうでもいいことばかり話していた。そのうち、どちらからともなく立ち止まり、それぞれ木の幹にもたれてぼんやりと丘陵地帯を眺めていた。吹いてくる夏の風は信じられないくらい透き通っていて、このままここにいれば自分も透明になるような気がした。

「でも、ずっと一緒だと思っていたから」

不意に彼が言った。

「それは、Qだって何時いなくなるかわからないでしょう。いつだって人生の曲がり角は突然くるんだから」

彼はまだ何か言いたそうだったけれど、私たちはそこで話を終えて、車に向かって森の中の道を引き返して行った。途中、鹿の足跡を見つけた。湿った地面に残された軽やかな一筋の軌跡は森の奥へと伸びていっていた。


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多分、続きます。

ハーブを買いに

ハーブを買いに行った。引越しのときにちょっとしか残っていないハーブはビンごとどんどん捨てたので、ナツメグと胡椒各種くらいしか残っていないので。

町の中に豆や玄米などを売っているお店がある。健康食品屋といってもいいのかもしれない。ありがたいことに、手にはいりにくい海苔や吉野葛、寒天、西京味噌まで売っている。いったい私以外の誰がこんなものをこの町で食べるのか、ちょっくら不思議に思うけれど、まあ、ありがたく買わせていただいている。町には外国人は少ないけれど、大学の町なので外国から来た学生が食べるんだろうか・・・とも思う。

このお店の奥まったコーナーにハーブ屋さんがある。三畳くらいの小さなスペースに、大きなガラスのボトルに入ったハーブ・スパイスを壁にみっしりと並べている。そこから流れてくる香りは、西洋とインド料理の絶妙なブレンドで、一瞬自分が何処にいるのかわからなくなる。

この店では自分がほしいハーブを25gづつ買うことができる。古風な天秤のお皿の上にガラスのボトルから大雑把にざあっとハーブを入れて行く。すると、お皿のほうが錘の載ったお皿よりもすうっと下がって行く。そこでハーブを入れるのをやめ、お皿に入った分を紙袋に詰めてくれる。だから、25gといっても、実際の量は30gくらいになっているのだろうと思う。家に帰って、それを空になったガラス瓶に詰めるわけだ。時には勢いよく入れすぎて、ものすごい量がお皿に入ることもある。ちょっと得した気分。

まず、月桂樹。その日はスコットランド人から教わったケッジュリーを作るつもりなので、必要だから。ケッジュリーに入れる燻製の助惣鱈は新鮮なものを魚屋さんから求めてある。それから、セージ、ローズマリー、そして、タイム。こんなもんかなあ、と思いながら壁に並べられているビンを眺めていた。

そしたら、

「パセリはいらないんですか?」

と、聞かれた。はい、パセリはいりません。なんだか、初級外国語会話の例文みたいな会話を交わした。

何で、パセリって聞かれたのかなあ、と思いながら家に帰って、ハーブをボトルに移しかえながら、ついつい、歌ってしまった。

Are you going to…

なるほど、サイモン・アンド・ガーファンクルの罪だったわけだ。

今日も世界のあちらこちらの台所の戸棚でひっそりとハーブが肩を寄せ合ってスカボロフェアーを歌っているのかもしれない。

携帯電話の使い方

引越しをして当然のこととして電話番号が変わった。電話会社に電話をして、引越しをすることを告げ、引越し先を告げ、引越しの日を告げる。電話を切る時間を決め、新しい電話をつなぐ時間を決めた。

普通だと、引越し先の家の電話番号がそのまま新しい私たちの番号になるわけらしいけれど、今回は元住んでいた人たちが近所に引っ越すだけなので自分たちの番号を持って行く、とかで、新しい番号をもらわなければいけなくなった。

「で、新しい番号は?」
「ええと、01***-******ですね」
「わかりました。ええと、控えたいのでもう一回、言ってもらえますか」
「ええ、いいですよ。でも、これは今のところそうなる可能性の高い番号なので、本当にそうなるかどうかは当日までわかりませんよ」

え?

じゃあ、どうすれば新しい番号がわかるんだ? 当日までわからないのはいいだろう。でも、その後どうすればいいんだ? 私たちは電話番号を非公開にすることに決めていたので、電話番号案内にかけても教えてもらえないじゃないか。と、文句を言ったら、係りの人はあっさりと、「携帯電話を持っていますか?」ときいてきた。

実は、私は携帯電話が嫌いなのだ。スイッチを入れていたことはおろか、持ち歩くことさえしない。テキストメッセージの送り方もしらない。ただ、時折、緊急時や、誰かとややこしい待ち合わせをするとき、緊密な連絡が仕事上必要になったときのために持っているに過ぎない。自分の携帯電話の番号も知らないくらいだ。自分が何かをしているときに、予告なしに割り込んでくる感じがどうも好きになれないのだ。でも、持っていることは持っている。限定された使い方をするために持っている。

「それじゃあ、*月*日の12時にそちらの電話がつながりますから、受話器を上げてつながっていることが確認できたら、そこから自分の携帯電話に電話をかけてください。そうすれば、あなたの家の電話番号が表示されるでしょ」

係員は親切にのたまった。

と、いうわけで、新しい携帯電話の使い方が私のリストに加えられた。でも、当分引越しする気は無いので、この使い方は無用の長物って気もするけど・・・。

Tide Clock

海が見える家に越してきたことで、とんでもない部分で無知だった自分に気がついた。

潮の干満というのは私はそれぞれ一日に二回づつあり、時間はすこしずれるかもしれないし、潮の高さはすこし変わるかもしれないけれど、お昼と夜中に満潮になり、その間に干潮になると思っていた。

赤面。

越してきてすぐにそうでないことに気がついた。はじめのうちは、日本よりも大分緯度が高いわけだから、日本とはちょっとリズムがちがうんだろう、ジオイド曲線とかあるじゃない、なんて、高校のときにかじった地学の知識を全く間違って勝手に解釈していた。

もちろん、月に影響されることは知ったいたけど、その月の公転周期は24時間だと勝手に思い込んでいた。月が出る時間は毎日違うことは知っていたけど、そのことと公転周期をあわせて考えることはしていなかった。自分の体の周期を一致している月の28日周期のほうが自分にとっては大切だったから。

要するに、自分に関係があると気にするけど、関係の無いことは気にしない、興味があれば注意するけど、興味が無ければ無視する、という、よくない態度をとっていたわけだ。

世の中ではいろいろなことが起きている。私にとってはかかわりの無いことかもしれない。でも、アフリカの飢饉で苦しむ人や、テロリストの爆弾で命を落とす人たちの運命を操っている長い手の付け根には、実は自分もいることを忘れてはいけないともう一度確認したような感じだ。私の食べるチョコレートはアフリカのどこかで奴隷のように搾取されている人たちの汗の滴りだともう一度確認しなければいけない、と自分の態度を反省した。

それで、自分の態度を反省する材料として「タイド・クロック(Tide Clock)」を買った。針は一本だけで、時計の文字盤は上と下にマークがついているだけ。針は24時間50分で二周する(12時間25分で一周)。要するに月の公転周期を一致をしているわけだ。この時計を見ながら、今日はFair Tradeのチョコレートを買うことにしようと思っている。

無邪気な戦争

イラク戦争でたくさん人が死んでいる。

大量破壊兵器なんて無いことはわかっていたはずだ。わかっていなければ、それはアメリカやイギリスの諜報機関の無能さの証明だし、わかっていたのに戦争を始めたとすれば、ブッシュやブレアは嘘をついていたことになる。政治家の嘘は許されない。

フセインがアル・カイダなどのテロリストグループとつながりが無かったことははっきりしていたはずだ。フセイン自身が「もし、これらのテログループと自分がつながりを持っていたら、誇りを持ってそのことを宣言する。しかし残念ながら、つながりは無い」と声明を発表していた。フセインはうそつきだが、このちょっと笑っちゃうような声明にはたぶん嘘は無いだろう。その後もそのつながりは証明されていない。

イラクが45分で主要国に対して攻撃ができる、なんていうのだって、今になって嘘だとわかっている。では、このクレームは正確ではないと言ったために、渦中の人となり、政治家に利用され、自殺に追い込まれたドクター・ケリーは、いったい何のためにそこまで追い詰められなければいけなかったんだろう。誰かのうそを守るため? 何のために? 戦争を始めるために?

イラクの市民もたくさん死んでいる。この数は、「戦争に伴う避けられない犠牲者」といってもいいのだろうか。フセインは極悪の独裁者といってもいいだろう。でも、そのフセインがいなくなった後の自分たちの国の状況は残された家族を慰めるのだろうか。

死んでいった兵隊たちは? 正しい目的のために行われた戦争ならともかく、目的が正しくない、国際連合でも認められず、国際法的にも違法な戦争で死んでいった兵隊たちの家族は? 何が彼らを慰めるのだろう。何よりも切ないのは、死んで行くほとんどの兵隊たちが若く、貧しいことだ。そして、貧しい海外からの移住者も、アメリカの市民権獲得を夢見て、兵隊になり、イラクで戦っている。でも、金持ちは戦争では死なない。

目的はフセインを取り除くことだといっても、そのフセインを独裁者に据えたのは、アメリカ自身だということを都合よく忘れてしまっている。その無邪気さが怖いと思う。

車の使い方

この海辺の小さな町に越してきて、約3ヶ月。ここに来る前は、中くらいの地方都市の郊外の村に住んでいたので、何をするのも車、車、車。子供を迎えに行くのも、車。買い物もスーパーで、車。レストランに行くのも、車。友達の家に行くのも、車。実に環境に悪いではないですか。ガソリン代もとっても高いし。それに、事故を起こすかもしれないし・・・とぶつぶつ文句を言いながらも、やっぱり、日々、車の生活。週に一回教えていた学校も遠くに離れているので、往復で1時間半のドライブ。それは、電車やバスでいければいいけれど、そういった公共交通をきちんと整えてくれないから、やっぱり、文句を言いながら、車で通っていたのでした。

それが、突然、一転。

新しい町に引っ越すにあたっての条件は、「町の真ん中に住むこと」。今まで住んでいたところよりも、もっと田舎になるので、町の中に住まない限り、車に頼る生活が、もっと車に頼ることがかんたんに予想できたので。

毎日の買い物はリュックをしょって歩いて、八百屋、肉屋、魚屋、金物屋・・・と、大きな町ではなくなってしまっている小さな個人商店を回るもの楽しい。そうやって歩く癖がついて、ちょっと離れているところでも歩いていくようになって、菩提樹の紅葉した遊歩道を歩いていくのも楽しい。海辺のプロムナードを歩いてちょっと遠回りをしながら買い物に行くのも、楽しい。

町は小さくて,ちんまりとまとまっていて、暮らしやすい。小さなカフェやちょっとした感じのいいレストランもあって、ぷらっと出かけるのにも最適。でも、小さな町だから、道が狭くて、一方通行が多くて、道はいつも車でこんでいる。それを横目で見ながら、ふんふんと歩いていくのはとってもいい気分。

しかし。

どうしても車で町の真ん中まで行かなければならなくなってしまった。

車のラジエーターホースがどこかで外れるか、穴が開くかしたらしく、冷却水が減りだした。運転はほとんどしないからいいようなものだけど、やっぱり、気になるので、修理工場に行くことにして、はた、と気がついた。

車で町の真ん中に行かねばならない。

車を担いでいくわけには行かないし、修理工場の人が家に来てくれるはずも無い。しかも、修理工場は町のど真ん中に一軒しかない。

歩いて5分の距離を車で10分かかって行きました。なんだか、納得できない10分でした。
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